2012, Mar.
『一寸先は、パミ。』って言ったら、いっそのこと闇って言ってくれた方が白黒はっきりしてて良いのにって言われたよ。
『藁をもつかむ思い』と言いたいとこだけど、溺れてすらもいない、かもしれない、よ。
歩いてもいないから、棒にもあたらないよ。
衝撃的なものなんてもはやたいしてなくて、いつだってご多分にもれず、ふつう、です。
わきわき、わきわき、湧き出でる、ボンボン、ボンボン、凡庸センス。
モモンガ・コンプレックス新作公演。
舞台美術として“男子”起用。まったくもって五里霧中。サハラ砂漠に富士の樹海。
船に乗っても舵は取らないよ。
若いアーティストが自らの表現を獲得するのに、はたしてどれほどの歳月が必要だろうか?カンパニー旗揚げ前の桜美林大学在学中から白神ももこの舞台に接しきて、その軌跡を振り返る時、そんな感慨にとらわれる。例えば日大芸術学部で出会った女の子たちが結成した珍しいキノコ舞踊団は、当初の共同創作スタイルから伊藤千枝を代表とする責任体制へ移行した2000年代以降、作風が変わったと評価する見方があるが、そうした評価の獲得までには10年を要した。白神も、高須賀千江子や山下彩子らバイタリティ溢れる個性的ダンサーと分かれ、卒業後にキラリ☆ふじみや急な坂スタジオで活動するようになって、ようやく自身のカラーを打ち出すようになった印象がある。
『ご多分にもれず、ふつう。』には、そんな白神の個性がよく現れている。メインは赤いワンピースを着た3人の女性ダンサーだが、ほかにダンステクニックを持たないアンサンブルを「動く舞台美術」として起用している。この奇抜な発想は何に由来するのか? 実はこの作品はシャガールの描いたバレエの背景画「アレコ」をモチーフとしている。ただし、プーシキンの原作小説の物語性を語るわけではなく、舞台化されたオペラやバレエを現代的に翻案したものでもない。当時のシャガールの不幸な境遇を暗示してもいないし、「アレコ」が青森県立美術館の開場時からコレクションの目玉となっていることともまったく関係ないという。実際の舞台では、表情豊かなメインダンサーよりも、地味で無表情なアンサンブルの方に気がいってしまう。英題には「Hitobito[humans]」とある。白神は、目立たない普通な人々が抱く日常的な感情を巧みにすくいあげる才能がある。通常なら見過ごしたり、忘れ去ったりするような感覚を抽出し、センシティブに舞台に展開してみせる。ちょうどシャガールの背景画が、バレエ作品よりも今に伝えられているように…。
独特な表現だが、白神のように比較的若い振付家の表現を担保する場があればこそ、アーティストも成長できるように思う。
北川姉妹