2011, Feb.
ガールズトーク。端々に『リア王』や『マハーバーラタ』などのテキストが入り込み、話題は対米関係や原爆、時事に関することまで及ぶ。
殺人事件も起きるが、すべては下ネタに回収され、シモも上もなくなっていく
母なる大地に女が4人いて(もちろんほかにも女はいるし男もいるけど)、誰がその母になるかを争ったところ、浜子が選ばれて恨まれて殺された。
容疑者はもちろんほかの3人の女(もちろんほかにも女はいるし男もいるけど)!
どうして浜子は選ばれたのか、そして殺されたのか!
そして事件を調べる、探偵の阿賀クリスティンはハーフの女で、殺された浜子役の俳優が演じていた・・・。
一方神里は深夜の小田原のファミリーレストランで横浜も川崎も同じ神奈川だよな、と思っていた・・・
岡崎藝術座史上、最も冒険的(ていうか「無謀」?)だったかもしれない作品。 一言で言うなら「ドイヒー」(モチロンいい意味で)。いや、違うな、「テキトー」(いい意味で)か。「ドラマ」というか「お話」の内容が「ドイヒー」なのではなく、演劇としての「構成」や「レイアウト」処理が「テキトー」。
場所や人やモノやコトの「境界線」(区別・差別)を問う! 的なドラマが展開するのかと思いきや、成る程それっぽく思わせぶりな話題が繰り出されはするものの、それらはことごとくあっと言う間に打棄られていく。おまけにそれらはどこかから借りて来たネタ(『リア王』『女中たち』『マハーバラータ』etc)。その一方で、他愛もないガールズトーク(下ネタ!)部分には妙にリアルなテクスチュアが書き込まれ(ザ「現代口語演劇」的な)、一見無駄に揃えられた感のある「上手い役者」陣が、この部分においてこそ遺憾なく効果を発揮する。
『ヘアカットさん』『古いクーラー』とゼロ年代日本の我々の「生」の「貧しさ」を表象してきた神里雄大だが、この作品では積極的に「演劇」=「表象」の「貧しさ」の下限を測ろうとしている。それゆえの「テキトー」。横子さん浜子さん? 川子さん崎子さんって何だよ!!(横浜・川崎……..。)学芸会の仮装ぽい衣裳は前かけ状態=後ろがない。それでなのか! 決して後ろを向かない正面向きカニ歩きでの移動は。テキトーだ。
富貴塚悠太