2009, Mar.
タタタ(tathata)とはこのままという意味。音楽を一音やひとフレーズごとに意味を求めずかたまりのまま飲み込み、楽しむように、かたまりのまま踊り(身体)を飲み込んでもらいたい。
踊りとは音楽かもしれず、仕種かもしれず、生活かもしれない。
でもやっぱり、踊りは踊りなのだ。
二人のダンサーがそれぞれ、20分ほどの同じ振付をソロで順番に踊る。一人目は女性、二人目は男性。音楽はないまま、わりあいはっきりとパートに分節されたダンスが展開されてゆく。身体の緊張度は十分に高いが、淡々と、と言っていいほどの静かさで動きは遂行され、その抑制は後半、音楽が流れ、振りの速度と大きさが膨らんでも保ちつづけられる。盛り上がる音楽と照明効果のなか、ステージを大きく使ったスピーディーなダンスが踊られ、前方にむかってゆっくりと、ぎくしゃくと歩く振り付けで照明がカットアウト。岩渕貞太の2009年度作品『タタタ』は、同じステージで同じ振付を二人のダンサーが、一人ずつ、互いの姿をまったく写し合わないまま孤独に踊ることによって、結果として、「振り付け」という作業がどれほど強くダンサーの身体を拘束しているのか、ということと、観客は直面させられるようだ。ふたりは互いからも、観客からも切り離され、ひたすら自身に与えられた動きを処理してゆく。振付と身体、「うごかされる自分」と「うごく自分」も、ここでは切断されているように見える。その切り離れは、振りを与えられた酒井幸菜よりも、自身で振りを制作した岩渕の身体の方によりはっきりと現れているようだ。外と内とのこのような関係が意識的なものだったのかどうかはわからないが、ここから五年の岩渕の取り組みは、ここで一旦切り離したもの、および、うっかりすると単なる図式になってしまいかねない「振付」というものを、自身の身体の内側で具体的に統合してゆく作業となるだろう。
Kazuyuki Matsumoto